北海道の歴史と文化と自然

縄文文化

旧石器文化と縄文文化

私たちの祖先は、どこからやって来たのでしょう。北海道に人類が住みはじめたのは、今から約3万数千年前とされています。はるかシベリアの大陸から、マンモスに代表される大型の動物群を追い北から移動してきた人々。朝鮮半島や南の島々を渡って南から移動してきた人々。かれらは高度な石器づくりの技術をもちこみ北海道で旧石器文化を築きました。

日本列島にたどりついたホモ・サピエンスたち

ホモ・サピエンスの拡散ルートと推定年代

ホモ・サピエンスの拡散ルートと推定年代(2013年馬場悠男 『縄文人はどこへいったか?』より作成)
ホモ・サピエンスはアフリカを出て多様な環境に適応し、世界中に拡散しました
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今から約10万年前、アフリカで私たちの祖先であるホモ・サピエンスが誕生しました。
その後5〜6万年前になるとアフリカを出て世界へ移動しはじめました。約5万年前ころには現在の東南アジア(インドネシア付近の島々とインドシナ半島は、かつてスンダランドと呼ばれる陸続きの大陸でした)にまで達し、ここで人口増加しました。陸上の食料だけでなく、舟をあやつって海からも食料を得て繁栄しました。やがて、人びとは、オーストラリア大陸へ渡って現在のオーストラリア先住民の祖先となり、また別の一群は現在の中国、シベリア、日本列島、アメリカ大陸へと移動を続けました。
その人びとのうち日本列島に到達したのは、今から7~6万年前のことです。シベリア、サハリンを経由し、北から日本列島に着いた人々と、南から島々を渡って着いた二つのグループがあったと考えられています。この人類の日本列島への移動は、一度だけでなく、何度もくり返されました。そのため、多様な形質をもった人びとが日本列島に移動し、私たちの祖先となる人びとが誕生したと考えられます。

旧石器の道具革命

氷河期の北海道の想像図

氷河期の北海道の想像図。草原にマンモスなどの大・中型動物が生息していました(写真提供:帯広百年記念館)

北海道でもっとも古いホモ・サピエンスの「足跡」は、今から約3万数千年前のものです。
当時は「氷河期」と呼ばれ、海面が低下して陸地が拡大し、北海道は宗谷海峡付近でユーラシア大陸とつながっていました。北海道は広大な草原が広がり、マンモスやバイソン、ナウマンゾウ、オオツノジカなどが生息していたと考えられています。人びとは石を砕いてつくる打製石器を使い、狩りや漁をして移動しながら暮らしていたとされています。この時期を「旧石器文化」と呼んでいます。今から約1万年前までは、このような旧石器文化が続きました。

白滝遺跡群から出土した細刃技法の石器

白滝遺跡群から出土した細刃技法の石器。当時の高度な石器製作技術を読み取ることができます。国重要文化財指定(遠軽町白滝教育センター所蔵)

北海道の旧石器文化のはじめごろは、本州とほぼ同じ石器が使われていました。2万年〜1万2千年前になると、シベリアからサハリンを通って、大陸の影響を受けた細石刃(さいせきじん)という石器が広がります。細石刃は、石を細く打ち砕き、カミソリの刃のように鋭く尖らせた石器です。「黒曜石」という火山岩を素材につくられ、骨や木などの先につけた溝の部分に埋め込み、槍や刀のようにして使用した道具がつくられました。この細石刃は、大量につくることが可能で、手軽で様々な用途に利用できることから、狩りや漁をする人々にとっては大変便利なものでした。当時の人びとは、細石刃をつくる技術のおかげで生活や活動の幅を広げたと考えられています。
この細石刃が大量につくられた加工場の跡が、北海道北東部にある遠軽町白滝遺跡群で発見されています。この遺跡がある地域には黒曜石の埋蔵量が60億トンといわれる赤石山があり、日本最大級の産地でもあります。これまで、遠軽町白滝では旧石器文化の遺跡が多く発見され、約700万点におよぶ膨大な石器や、石器をつくる過程でできた破片などが出土しています。また、ここで発見された細石刃の製作技法は、「白滝技法」や「湧別技法」などと地域名が付けられています。この細石刃技法は、東北アジア一帯に分布し、白滝産の黒曜石は遠く離れた大陸からも発見されています。

[北海道の旧石器時代の遺跡]〜北海道各地に多くの旧石器時代の遺跡があります。

旧石器時代の「黒曜石の里」を体感

白滝遺跡群

黒曜石溶岩の断面露頭

黒曜石溶岩の断面露頭(十勝石沢)

遠軽町の白滝地域を流れる湧別川とその支流域にある遺跡群。日本一の黒曜石産地と旧石器時代後期の遺跡が分布しています。「白滝ジオパーク」では、黒曜石にまつわる様々な情報以外にもこのエリアならではの自然や歴史文化を体感することができます。


北海道最古の石器が出土した

若葉の森遺跡

出土した石器を接合した状態

出土した石器を接合した状態(写真提供:帯広百年記念館)

2001・02年に道道改良工事の際、旧石器時代の石器約9700点と、縄文時代前期〜中期の土器など約56000点、住居跡などが見つかりました。黒曜石で作られた石器は放射性炭素年代測定から約3万年前のものとわかり、今のところ北海道で最古のものです。


丘の上に広がる約2万年前の巨大遺跡

史跡ピリカ遺跡

ピリカ遺跡蘭越型細石刃核接合資料

ピリカ遺跡蘭越型細石刃核接合資料(写真撮影:小川忠博)

1978年にダム建設の際に発見された旧石器時代の巨大な遺跡で、約20万点もの石器が出土しています。これまで発掘した面積は全体の1%に過ぎず、まだ大量の石器があると考えられています。「ピリカ旧石器文化館」では石器づくりの体験もできます。

ピリカ遺跡調査の様子

2003年ピリカ遺跡調査の様子

ピリカ遺跡調査の様子

土器の使用と、縄文文化のはじまり

大正3遺跡から出土した北海道最古の土器

大正3遺跡から出土した北海道最古の土器。縄文時代草創期の特徴である「爪形文」が見られます(写真提供:帯広百年記念館)

やがて氷河期は終わりが近づき、地球はだんだん温暖化していきます。この地球規模で起きた気候の変化は、人類の生活や文化を大きく変えていきました。
日本列島では、マンモスに代表される大型動物は絶滅し、針葉樹の森は次第に広葉樹へ姿を変えていきました。気候の変化で各地に発達した豊かな森にはドングリやクリ、クルミが実り、海面の上昇によってもたらされた地形は魚貝類が育ちやすい環境に変化しました。そのことから当時の人びとは、陸と海の両方から食料が得られるようになりました。
このころ、日本列島に新しい「縄文文化」が生まれます。
縄文文化の最大の特徴は、「土器」が発明されたことです。土器を使うことで食べものの調理や食料の貯蔵をし、生活が大きく安定してきました。青森県の大平山元Ⅰ遺跡で出土した土器が、日本で最も古いものです。この時期は1万6千年前ころで縄文文化草創期と呼び、旧石器文化から縄文文化への移行期にあたります。
また、北海道で最古の土器は、帯広市にある「大正3遺跡」から出土しています。これは1万3千年前ころのもので、縄文時代草創期の特徴をもち、本州から渡ってきた人々がもたらしたと考えられています。

北海道最古の土器が発見された

大正遺跡群

2003年、高規格道路建設の際に発見された縄文遺跡群で、1〜8の遺跡が途別川の左岸に点在しています。大正3遺跡から出土した土器は、北海道で最も古い時期の土器があることがわかりました。出土品は帯広百年記念館に展示されています。

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