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【むかわ町】開拓使三角測量 勇払基線 鵡川基点の記念碑が完成しました【明治150年関連施策・北海道みらい事業】

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投稿日:2018年12月03日

 このたび、むかわ町では、明治150年関連施策、北海道みらい事業の一環として、開拓使三角測量勇払基線鵡川基点記念碑の除幕式を、平成30年11月18日に執り行いました。

明治6(1873)年、開拓使の三角測量隊が、洋式の三角測量にもとづく正確な北海道地図を作成するために、現在のむかわ町田浦4線国道付近の土地、及び、苫小牧市勇払ふるさと公園の土地の一角に、三角測量のための基点を設置しました。

 

 これが、勇払-鵡川間 14,860.26461959m(平均値)をはかる、勇払基線のはじまりです。 勇払基線は、北海道広域を対象とする三角測量の基線であることから、勇払基線こそが、日本で初めて本格的な三角測量が行われた基線であると言うことができます。

 勇払基線は、「正確な北海道地図の作成のための欧米の近代測量技術であり、わが国における基線測量の嚆矢である」ことが高く評価され、平成28年度土木学会推薦土木遺産「開拓使三角測量基線-勇払基線(勇払基点,鵡川基点),函館助基線(一本木基点,亀田基点)」に選定されています。

 

 


○鵡川基点設置の歴史的背景

 開拓使は、当初、本府札幌の建設に注力しておりましたが、黒田清隆が開拓次官に就任すると開拓使十年計画が強力に推し進められ、北海道の地質調査と測量調査を開拓事業の基幹として位置付けられました。

 黒田は、計画の遂行と将来を担う優れた人材育成のために、アメリカ第18代グラント大統領の承諾を得て、農務長官ケプロン(Horace.Capron)を開拓使顧問に招き入れ、さらに、明治5年(1872年)にアメリカ陸軍大尉ワッソン (James.R.Wasson:明治7年3月転属)を招聘し、明治6年から、三角測量による北海道地図の製作がスタート しました。翌年、ワッソンの後任であるアメリカ海軍大尉デイ(Murray.S.Day:明治9年4月解雇)が測量事業を引継ぎますが、明治9年3月にデイが解雇され、同年12月に事業中止となったため、未完成の状態で開拓使の北海道実測図 が刊行されることとなりました。

 この事業を通じて技術を学んだ、荒井郁之助(あらい いくのすけ)、福士成豊(ふくし なりとよ)、野澤房迪(のざわ ふさみち)、奈佐 栄(なさ さかえ)、関大之(せき だいし)、寺澤正明(てらさわ まさあき)らの日本人技師が、明治期を通じて測量、気象、教育の場面において指導的な立場を担い、我が国の近代化に貢献する多数の人材が輩出されました。

 


○三角測量で地図をつくる

 数㎞~10数km離れた平坦な場所にある2点間の距離を正確に測り、もう1点を加えて三角形を作り、三角形の内角を測ります。勇払基線の場合、2点間は、勇払と鵡川の基点です。もう1つの点は、厚真町のドーマナイ山にありました。正確な距離のわかっている一辺(勇払基線の長さ)と三角形の内角を三角関数で計算して、三角形の残りの辺の長さと面積を求めます。次に、最初に測量した一つ目の三角形をベースとして、さらに点を追加して三角形の数を増やし、内角を測ります。このような手順をへて三角形の網を作り、三角形の各点の位置を求めていくのが三角測量です。開拓使は、全道で三角測量を実施して、正確な北海道地図を作ろうとしました。

 

 


○開拓使三角測量勇払基線鵡川基点推定地と記念碑を探訪する

所在地 むかわ町田浦29番地2 田浦野球場駐車場入り口付近

 



○お問い合わせ先

  むかわ町教育委員会 生涯学習課社会教育グループ

  〒054-8660 北海道勇払郡むかわ町美幸2丁目88番地

 【 電 話 】0145(42)2487

 【電子メール】skyouiku◇town.mukawa.lg.jp

   ※mailでお問い合わせの場合は、◇を@に変えて送信してください。

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