北海道の歴史と文化と自然

縄文文化

縄文文化と北の遺跡

今から1万数千年前ごろから、北海道を含む日本列島で土器が使われ、縄文文化がはじまります。北海道にはたくさんの縄文遺跡が見つかっており、そこからは縄文文化の人びとの暮らしや社会を知ることができます。北海道と北東北では「北の縄文文化」の世界遺産への登録が進められています。この文化は、どのようなものだったのでしょう。

自然とともにあった縄文文化

伊達市北黄金貝塚に復元された竪穴住居

伊達市北黄金貝塚に復元された竪穴住居

縄文文化とはどのような文化だったのでしょうか。
縄文文化の人びとは土器のほかにも多くの道具を使いました。磨製石斧、弓矢、釣り針、銛(もり)などの道具を発達させ、狩猟や漁労の技が向上しました。旧石器文化までの移動生活ではなく、地面を掘った竪穴住居をつくり、同じ場所に「定住」するようになりました。そして、人びとが集まって暮らす「ムラ」が生まれます。また、イヌを飼いはじめたのもこのころです。
日本列島は温暖で雨が多く、この気候は森を育てました。森は動物や木の実など多くの恵みを人びとにもたらしました。森から流れ出る水は、川となり、サケやマスなどの魚たちや、海辺の貝を育てました。「ムラ」の周りでは、林や草原が生まれ、そこに暮らすシカや小動物が食料になりました。人びとは、「ムラ」の周りの自然と密接につながって暮らしていました。
そのような縄文文化は、世界的にも狩猟・漁労・採集を中心とした社会が1万数千年もつづいた特異な文化として高く評価されています。

世界では、氷河期が終わると「農耕と定住」を特徴とする新石器時代がはじまり、いわゆる文明がおこります。農耕によって生産力を高めた文明は、王や階層などの身分をつくり、国や戦いを生みました。
一方、縄文文化は本格的な農耕を行わず、「狩猟・漁労・採集」を続けながら「定住」し、自然を大切に暮らしていました。「ムラ」には集落を囲む濠や防御施設などの戦いの痕跡がみられなく、老人や子供を大切にしたことも分かっており、安定した社会だったと考えられています。縄文文化は約1万数千年にわたって続きました。ひとつの文化がこれほど長く続いた例は、世界でも他にありません。
日本列島に広がっていた縄文文化は、農耕をしない「遅れた」文化ではなく、自然と上手に共存し、狩猟・漁労・採集を発達させた成熟した文化だったといえるでしょう。

縄文文化のサケ漁を伝える

石狩紅葉山49号遺跡

縄文文化でサケ漁が行われていた川底から、大量の杭(くい)列が発掘されました

縄文文化でサケ漁が行われていた川底から、大量の杭(くい)列が発掘されました(写真提供:石狩市教育委員会)

札幌市と石狩市の境界にある紅葉山砂丘から、縄文文化でサケ・マス、ウグイなどの漁に使われた大規模な施設「えり」、木製のタモ、丸木舟の一部などが多数出土しています。「えり」は漁法の施設で、川や湖などに杭などを立てて魚を誘導し捕獲するものです。出土品は「いしかり砂丘の風資料館」に展示されています。

縄文文化の人びとの暮らしを知る

垣ノ島遺跡の盛土遺構全景

垣ノ島遺跡の盛土遺構全景。今から約4200〜4000年前に構築された盛土がほぼ壊れることなく現存しています(写真提供:函館市)

縄文文化の人びとの暮らしは、各地に残された遺跡から知ることができます。
北海道では旧石器文化からアイヌ文化期まで約1万2千カ所の遺跡が確認されています。そのうち約7千カ所が縄文時代の遺跡です。縄文文化の遺跡からは、住居や「ムラ」の跡、土器や石器などの道具がたくさん見つかります。墓地や水場、狩りの跡なども見つかっています。
また、北海道では多くの「貝塚」が見つかっています。伊達市北黄金貝塚からは、ハマグリ、カキ、ホタテなどの貝がらだけでなく、マグロやヒラメの骨、オットセイやクジラなど海獣の骨、さらに縄文文化の人びとのお墓やシカの頭の骨をならべた儀式の跡なども見つかっています。釧路市にある東釧路貝塚からも貝類や魚の骨のほかに、イルカの頭骨を放射状に並べたものが出土しています。
縄文文化の人びとはすべてのものや事象に魂があると考え、「貝塚」は人びとが使い終わったものを、恵みをもたらしてくれる世界へ送る場だったと考えられています。函館市大船遺跡や垣ノ島遺跡で見つかった「盛土(もりど)」遺構も、同じような祭祀や儀礼の場であったようです。このような「送り場」は、縄文文化の人びとの精神文化を伝えてくれる、貴重な空間であり、「送り」の考えは、アイヌ文化と共通するものでもあります。

北海道の縄文文化の遺跡は、地域ごとに特色をもっているといわれています。
北海道北東部には約7千年前に「石刃鏃(せきじんぞく)」という独特な鏃(やじり)が伝わりました。これはシベリアなど大陸の影響を受けたものと考えられています。
また、北海道の西南部と津軽海峡を挟んだ北東北は、縄文時代前・中期に同じ特徴の円筒状の土器を使うなど、共通の文化圏をもち、つながりがありました。このことからも津軽海峡を挟む18カ所の縄文遺跡群は、現在、世界遺産登録を目指してさまざまな取り組みを進めています。北海道からは北黄金貝塚、入江・高砂貝塚、鷲ノ木遺跡、大船遺跡、キウス周堤墓群、垣ノ島遺跡の6カ所が入っています。

帯広市の大正7遺跡から出土した石刃鏃石器群

帯広市の大正7遺跡から出土した石刃鏃石器群(写真提供:帯広百年記念館)

大船遺跡などから出土した土器

大船遺跡などから出土した土器。北東北と共通の形状をもつ鉢状の円筒土器や、その後に作られた土器もあります(写真提供:函館市)

イルカの「送り場」があった貴重な貝塚

東釧路貝塚

東釧路貝塚の断面は、最大で厚さ1mに及ぶ(写真提供:釧路市教育委員会)

東釧路貝塚の断面は、最大で厚さ1mに及ぶ(写真提供:釧路市教育委員会)

釧路湿原に面する台地にある縄文時代前期の貝塚で、1970年に北海道で初めての国指定史跡です。放射状に並べたイルカの頭骨のほか、トドやイヌの埋葬例などが出土しました。現在は釧路市の貝塚公園として一般公開されています。

世界遺産登録を目指す北海道の6遺跡

深さ2mを越す巨大竪穴住居が出土

大船遺跡

深さ2m以上の竪穴建物跡

深さ2m以上の竪穴建物跡(写真提供:函館市)

太平洋に面した海岸段丘に広がる大規模な集落遺跡。100棟以上の竪穴住居跡や盛土遺構があり、約1000年に渡って継続した集落だったことがわかっています。現在は、住居などを復元した「縄文のにわ」と「縄文の森」として整備され自由に見学できます。


長さ160mに及ぶコの字形の盛土遺構

垣ノ島遺跡

垣ノ島遺跡から出土した漆塗り注口土器

垣ノ島遺跡から出土した漆塗り注口土器(写真提供:函館市)

縄文文化早期から後期にかけて、約6000年もの長い間にわたって人びとの営みがあった集落遺跡。国内最大級の盛土遺構があり、祭祀や儀礼の場だったと考えられています。遺跡は隣接する函館市縄文文化交流センターから望むことができます。


縄文文化最大級の土木工事

キウス周堤墓群

外径75mに及ぶ最大の1号周堤墓

外径75mに及ぶ最大の1号周堤墓(写真提供:北海道埋蔵文化財センター)

地面に穴を掘り、周囲に土をドーナツ形に積み上げた縄文文化の共同墓地で、全部で8つの周堤墓があります。一番大きなもので外径75m、深さ5m以上に達します。遺跡は自然林の中にあり、今でも縄文時代の雰囲気を感じることができます。


縄文の息吹が体感できる丘

北黄金貝塚

復元された貝塚

復元された貝塚。中にはシカの頭骨も置いています

噴火湾に面した台地に広がる5つの貝塚を中心とする集落遺跡。貝塚のほか、住居、墓、水場の祭祀場などがあり、湧水点付近からは大量の石皿やすり石が出土しました。遺跡は現在、縄文文化を体験できる史跡公園として整備・公開されています。


北海道最大のストーンサークル

鷲ノ木遺跡

2011年、高速道路開通前の環状列石の全景

2011年、高速道路開通前の環状列石の全景(写真提供:森町)

直径37mの環状列石(ストーンサークル)と竪穴墓域(集団墓地)を主体とする遺跡です。駒ヶ岳の火山灰に厚く覆われていたため、保存状態が良好です。高速道路建設の際に発見され、遺跡を保存するためにその下にトンネルが造られました。


厚さ3mに及ぶ黒い貝塚

入江・高砂貝塚

貝塚公園に復元された掘立柱建物

貝塚公園に復元された掘立柱建物(写真提供:洞爺湖町)

有珠山と噴火湾を一望できる高台の上にある2つの貝塚です。貝層は厚さ3mに達し、魚の骨や土器片が多数含まれ、「黒い貝塚」とも呼ばれます。遺跡は現在公園として整備され、復元住居や貝塚を露出展示した「貝塚トンネル」などがあります。

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